〔政教分離〕宗教法人と地方公共団体のあるべき関係~愛媛玉ぐし料訴訟から~

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宗教法人と地方公共団体の関係

最近、宗教離れが深刻だという話をよく耳にするわけですが本当にそうでしょうか?

日本人は宗教と無縁ではいられない現状があると考えます。

それは地蔵盆などの地域のお祭りや慰霊祭、クリスマスなど宗教的意義のある行事というのはもはや世間に浸透しており、神道や仏教のみならずキリスト教の要素も日本社会では幅を利かせています。

このような行事に知事、市長、町長など公職にある方が出席するケースもありますし、内閣総理大臣が靖国神社に参拝するとかしないとかということがニュースになっているようなこともあります。

地方公共団体のような極めて中立的な行政機関と宗教法人の関係でいうと近すぎる関係はご法度です。

だからと言って排斥するほど離れていくのも問題です。

何故なら特定の宗教と行政が深くつながっていると間接的にその他の宗教と不平等な関係になってしまいます。

行政はこの微妙な距離感を持ちつつ、宗教法人にとってもそれを理解して行政と付き合う必要があります。

今回はこの関係性について「愛媛玉ぐし料訴訟」を通して考えていきます。

玉ぐし料とは?

まず玉ぐし料とは何かについて押さえておきましょう。

簡単に言えば玉串の代わりに神社に納めるお金のことです。

ちなみに、玉串というのは神道の神事で参拝者や神職が神前に捧げる紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊の枝のことです。

玉ぐし料についてもっと知りたい方は「終活ねっと」さんのサイトが参考になります。

のし袋を買いに行った時、どれを買えばいいか迷ったことはありませんか?のし袋にもたくさんの種類があります。のし袋の使い方を見ても玉串料の他にも初穂料など様々なルールがあるみたいで混乱してしまいます。今回は玉串料の使い方とのし袋の書き方をご紹介します!

玉ぐし料は宗教法人運営においてはお布施と考えてよいでしょう。

私たちの身近にある行事で神事に関わることがあれば玉ぐし料を納めるところは目にすることがあると思います。

例えばこの玉串料が個人的に支出されているものであれば何ら問題がないのですが、公職にある方が行政機関の会計(いわゆる公金)から支出して大変な事態になったというのが「愛媛玉ぐし料訴訟」です。

「愛媛玉ぐし料訴訟」とは

正式な事件名は愛媛県靖国神社玉串料訴訟と言われ、愛媛県知事が1981年から1986年にかけて、靖国神社が挙行する例大祭や県護国神社が挙行する慰霊大祭で玉串料、献灯料又は供物料を県の公金から支出

この行為が憲法20条3項および89条に違反するとして、浄土真宗の僧侶を原告団長とする愛媛県の市民団体が、地方自治法の規定に基づき県に代位して支払相当額の損害賠償訴訟を提起された事件です。(wikipediaより)

知事という立場で玉串料として公金を支出する行為が憲法違反に当たるかどうかという問題。

この公金支出は最高裁判所で違憲とされました。

違憲と指摘された日本国憲法の条文を確認していきましょう。

日本国憲法 (抜粋)

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法第23条は政教分離の原則を謳ったものですが、具体的に違反するのは3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」というもので、知事が玉串料を靖国神社などに公金で納める行為は宗教的活動と捉えることができます。

戦没者遺族慰霊のために行ったものとはいえ宗教的意味合いが強く、県民から納税された公金の一部が特定の宗教のために支出されたのは問題です。

このことを明確に禁止しているのが第89条です。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

靖国神社について詳しくは説明しませんが、宗教施設とはいえ非常に公共性の高い部分もあり、多くの戦没者を慰霊し、平和を誓う場所として宗教という概念を超える部分もあると人によって捉える方はいるでしょう。

最高裁判所の判断は靖国神社は宗教上の組織と捉えた判決を出しています。

この判決を受けて文化庁も各都道府県に通知を出しています。

地鎮祭はどうか?

玉串料は違憲とされましたが、地鎮祭における公金支出についてはどうでしょうか?

地鎮祭の場合も建物を建設する前に工事の無事を祈る一種の神事と言えます。

具体的な経緯は以下の通りです。

津市体育館建設起工式が1965年1月14日に同市船頭町の建設現場において行われた際に、市の職員が式典の進行係となり、大市神社の宮司ら4名の神職主宰のもとに神式に則って地鎮祭を行った。市長は大市神社に対して公金から挙式費用金7,663円(神職に対する報償費金4,000円、供物料金3,663円)の支出を行った。

これに対し、津市議会議員が地方自治法第242条の2(住民訴訟)に基づき、損害補填を求めて出訴した。

この地鎮祭というのは現代においてもはや一般的でいたるところで行われています。

宗教観に関係なく立ち会われる方は多いのではないかと思われます。

この裁判における最高裁判所の判決要旨は「その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動にはあたらない」

というもので結論として

「市立体育館の建設に際し、神式により神職を招いて、地鎮祭を行っても、憲法の規定する政教分離原則に反しない。」というものでした。

玉串料と地鎮祭で同じ公金支出ではありますがその世俗的な度合いで結論が分かれました。

他にも市から神社へ土地の無償提供をしていた「砂川政教分離訴訟」と言われる政教分離に関わる判例もありますが、さすがにこれは違憲という結論が出ています。

まとめ -宗教法人にとっての教訓とは

ここでそれぞれの結果について簡単にまとめましたが、宗教的意味の度合いや社会通念によって結論が変わると言えます。

公金支出の内容 結果
靖国神社等の玉串料 違憲
地鎮祭の挙式費用金 合憲
市から土地の無償提供 違憲

これらの判例に共通するのは神社です。

神社は日本で古来から存在する場所であり、その行事が日本人の生活に浸透している部分が多いです。

社会的儀礼の範疇なのかどうかというのが一つの基準になりそうです。

これまでに紹介した各判例は行政側にとって教訓とすべきものですが宗教法人側にとっても重要なものです。

特定の宗教に過度な関わり合いを行政がしていないかという感覚を持つことが求められますし、逆に関りを持とうとする行政に対しても拒絶する姿勢も時には必要です。

違憲となる公金支出は誰かが見つけて訴訟を提起しないと明るみになりません。

それぞれの宗教法人の良識が求められる部分もあるのではないでしょうか。

宗教法人と地方公共団体を始めとする公共機関は近すぎず遠からずの関係が求められ、近づきすぎて公金を支出してしまうと政教分離の原則に反してしまうことがあります。

地方公共団体側にも宗教活動をする意図がなくても傍から見れば、そのように取られてしまう場合もありますので過度な注意は不要ですが、社会的儀礼とは何かを日ごろから意識しておく必要があります。