〔無宗教葬〕墓地なし坊主なしの葬儀をする前に

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宗教はビジネスではない

宗教はビジネスではないと信じています。

悲しいかな宗教をビジネスとしている団体もあるでしょう。

しかしそれはほんの一部のはずで真剣に布教活動をしている団体が大半です。

お金がないと運営できません

お金のことにシビアになる寺院もあります。これは事実です。

しかし寺院の維持運営にお金がないと布教活動はできません。

檀信徒の減少がそれに拍車をかけているようですが決してこのことはビジネスと捉えられてもビジネスそのものではありません。

確かにこのような寺院側の対応に不信感を持つ方はいらっしゃいます。

それでも、お布施によって寺院は成り立っていますので檀信徒である以上はある程度協力しなければなりません。

その中で気になった記事を見つけたのでご紹介します。

11月25日、札幌にいた筆者の父が、90歳の誕生日を目前に亡くなった。近年、お墓やお葬式の方法、さらにはお寺との付き合いになどに悩む人が多いようだが、家族だけで、お坊さんなしで行なった我が家の弔いの様子を書く。

宗教色のない弔い

この記事では坊主なし、墓地なしという宗教色がない弔いを行ったということで寺院とのお付き合いがない方でも低価格で弔いができるということを紹介しています。

このような試みは無宗教の方にとっては朗報かと思います。

しかしこの記事において故人は寺院の檀信徒として熱心になられていた時期があるのです。

故人の意思は無視していないか

周囲が墓なし、坊主なしでよくても故人にとってはそれでよいのでしょうか?

更に海に散骨までしています。散骨の意思は遺言書などで確認できたのでしょうか。

この記事だけ見ると分かりませんがご遺族の判断で行ったようなのです。

檀家となっていた寺院に墓地をお布施を支払い持っていたということですから、故人としては入りたいという意思があったはずです…

本当にそれでよかったのか疑問です。

故人の遺志を無視することは抵抗があります。

しかしお布施を支払い続けることで生活が破たんするという事情があれば仕方がないのかもしれません。

宗教ではなく苦痛を和らげる癒しの存在として

お布施を求められることで興覚めしてしまい寺院離れを起こすことはあります。

寺院のことを知り、理解し、付き合いがあるのならば相互の努力で離檀は防げるはずです。

信仰の自由がありますから離檀を批判するのではありません。

先祖代々、特定の寺院にて特定の宗派を信仰していたのであれば一代で離檀の判断をすることに対して抵抗を感じるのです。

寺院を宗教ビジネスというマイナスのイメージで捉えず、癒しや別れの苦痛を和らげるツールとして認識されるとより親しみを感じられるのではないでしょうか。

寺院とは言えども運営しているのは同じ人間で、同じお金を使っています。

より現実的な視点で見てみましょう。

まとめ

  • 墓なし、坊主なしでの弔いも選択肢の一つです
  • 先祖代々繋いできた寺院との関係を一代で離檀することは本当によいのか
  • 寺院はより現実的な視点で見てみよう